役場職員の空きが出来たため、試験を受けに行く。地元で働けるし、公務員だし、合格との知らせに、母ちゃんも安心したようだ。
昭和39年10月1日
今日は、初出勤である。午前10時に役場に行くと、友達2人も合格して来ていた。
10時30分、町長室で役場職員任命辞令を受けた。
給料は9,500円であることを知る。給料が、これまでで一番安い額でがっかりした。
給料は9,500円であることを知る。給料が、これまでで一番安い額でがっかりした。
所属は建設課。課長、係長、直接の上司にあいさつをする。
この日は、庁舎内外へのあいさつ回りを行い、建設課で5時まで勤務し帰宅する。
この日は、庁舎内外へのあいさつ回りを行い、建設課で5時まで勤務し帰宅する。
この時期の常葉町所有の車は、出先を含め4台しかく、役場用のトラック及びライトパンの2台、直営診療所の乗用車が1台、そして消防自動車1台であった。
ぼくが仕事で運転する車両は、ニッサンジュニアとニッサンセドリックを担当し、用務に応じ運転するのである。ニッサンジュニアを使う時は、失業対策事業で雇っている作業員の送迎や道路資材の運搬等を行う時である。

↑運転手としてどこかに誰かを乗せていったのでしょう。
ぼくは、事務を行う傍ら三役(町長、助役、各課長)等が車で出かける時のライトバンの運転や測量の手伝い等を行うことになった。
車が少ない時は、トラックを乗用車代わりにする。議会議員が出張する時には、トラックの荷台に椅子を両側に取り付け、幌屋根を掛け数人を乗せていくのであった。
車が少ない時は、トラックを乗用車代わりにする。議会議員が出張する時には、トラックの荷台に椅子を両側に取り付け、幌屋根を掛け数人を乗せていくのであった。

↑建設課の旅行
この職場に父は、定年まで勤めることになります。