カテゴリ: 出稼ぎ昭和37年

昭和37年6月

また嫌な事が起こった。

4ケ月目の給料日に給料の支給が無かった。
不思議に思い事務所で確認すると、この職場を紹介し、一緒に働きに来た同僚がぼくの給料を受け取り、
「自分が渡す。」
と言って持っていったとのことであった。持ち逃げされてしまった…。しかも、知っている人だから始末が悪い。

1ケ月ただ働きで終わってしまった。しかたなく、今までためた小遣いを今月の仕送りにあてた。
その後、2カ月間働いて6月26日、自宅に帰った。
実家にて同僚を訪ねて、給料のことを聞いたが、しらをきられてしまった。

昭和37年2月

出稼ぎにも慣れてきた。
仕事を終え、宿舎で同僚数人と酒を飲んでいた時、仲間同士が口論になった。

いきなり、仲間の一人がビール瓶で相手の頭を殴ってしまう。

殴られた同僚の頭の皮が耳の辺りまで一瞬のうちに両側に二つに裂けた、ザクロみたいに頭が真っ赤になってしまった。すぐに医者に行って、助かったが、今でも目に焼き付いている。

知らない者同士が集う生活の恐ろしさをしみじみと感じた日であった。

昭和37年 2月

連夜の出稼ぎ残業で疲れたのか、風邪をひいてしまった。

しかし、仕送りにつぎ込んでいたためお金が無く、薬も買えない。
同僚から借りるのも恥ずかしいが、熱が下がらない。

お金になるもの…買ったばかりのオーバー…。なけなしの4,500円で、はじめて自分で買ったオーバー。

熱でだるかったが、初めて質屋に入る。質屋で2,000円になった。
何日か前は、4,500円だったのに。

その2,000円で風邪薬を買った。お金の無い惨めさをつくづく感じさせられた日であった。

昭和37年2月

工場で作業を続けている中、同僚と二人で大きな厚い鉄板の切断作業中、鉄板の寸法合わせをしていた。

その矢先、
同僚が鉄板から手をすべらせた。
と同時に同僚が自分で足下のスイッチを踏んでしまう…。
ぼくは、

「あっ。」

と叫んだが、一瞬のうちに鉄板と共に同僚の左手第二間接から先の指三本を切断してしまった。
ぼくは、驚いて機械の反対側に回ると、切断された指が、手袋の一本一本の指先部分に入ったまま、散乱していた。

ぼくは、落ちた指を集め、同僚を連れ、病院に行った。診察を受けたが、切れた指を付ける事ができなかった。
「自分が一緒にいながら…。」と気の毒で、事故の瞬間が脳裏から離れない日であった。

昭和37年2月18日

電機工業での作業時間は、普通は午後5時で作業を終わるのだが、ぼくは家に月1万円を送る約束があるので、1万円以上稼ぐために、毎日午後9時まで残業を行っていた。

1日当たりの日当は650円、1ケ月、毎日残業しても計14,000円程度にしかならない。
その内13,000円を家に送り、残りの1,000円で次の給料日まで過ごさなくてはならない。

我慢、我慢と自分に言い聞かせながら働き続けていた。
そのような中で、今日は待望の休みの日、ぼくにとっては、初の自由時間の日であった。

東京上野に遊びに行き、アメ横で自分の【半オーバー】を4,500円で買った。
4,500円は、とても高かったが、ずっとためていたお金をほとんど使っての買い物であった。はじめて、自分の洋服を買うことができ、とても嬉しかった。

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