カテゴリ: 楽しみ・食べ物・生活

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昭和37年7月26日

この頃、自転車に代わりバイクが普及し始めた。
親戚の兄ちゃんが【メグロの250CC】に乗って遊びに来ていたので、うらやましかった。時々、ぼくも借りて運転の練習をしていた。

バイクは、早いし、力もあるからとても便利だと思った。非常にバイクが欲しくなり、母に相談したが、「お金が無くて母ちゃんは買ってやれない。爺ちゃんに相談してみたらいい。」
と言われた。

祖父に何日もねだり、やっと買ってもらえることになった。
早速、近くの輪業に【ホンダベンリー125CC】を注文した。

7月26日に待望のバイクが届いた。代金は12万円であるが、祖父は頭金5万円を出してくれた。
「残りの7万円は自分で働いて払え。」
と言われたので、これからはこのパイクを利用して、一生懸命働こうと決心して、無免許だが一人で練習を始めた。

昭和37年

日曜日は休みなので好きな事が色々できた。
同郷の幼なじみと何度か会うことができたこと・川越市の劇場で島倉千代子ショーを見たこと・東京で映画を何度も見て楽しんだこと等思い出がいっぱいである。

昭和36年11月7日 

母が成人式用のスーツを買ってくれるとのことで、母と汽車に乗って郡山へ出かける。
出稼ぎのお金は全て母に預けていたので、ぼくが稼いだお金でも母に買ってもらうことになる。

洋服店にて体の寸法を測ってもらい、寸法にあった背広を店員さんが準備する。そして、ぼくが生まれてから、初めての背広を買ってもらうことになる。

これまでは、ジャンバーか店のはっぴしか着たこともなかったことから、ぼくは背広を手にして、飛び上がりたいような喜びであった。

友達が、本宮で開催される花火大会へ毎年連れて行ってもらっていたため、
「ぼくも行きたい。」
と何度も母に頼んだが、許してもらえなかった。

ぼくは、いろいろなことを経済的事情により我慢させられており、特に毎年花火大会の時期が来ると、うらやましがっていた。

ぼくが、母に何かねだると、

「父ちゃんの恩給が貰えるようになったら、行かせてやる。」
「父ちゃんの恩給が貰えるようになったら、買ってやる。」

などと、小さい頃から聞かせられていた。戦死と認められないのだから、恩給がもらえることはないと分かっている。だめなのはなれっこだったが、花火大会だけは、どうしても行きたかった。

昭和35年5月23日~25日
祖父は温泉が好きで、年に一度は必ず中ノ沢温泉に湯治に出かけていた。ぼくは、小学時代の夏休みには毎年湯治に連れていってもらっていた。
母が、退院し、生活も少しづつ安定してきたため、久しぶりに湯治に出かけた。湯治中、中ノ沢温泉から横道周辺を散歩すると、道路の両側にワラビが沢山出ていて、祖父と一緒に山菜狩をした。

この頃母は、履物を背負い、いわき市常磐湯本町の親類の家に泊まり込んで、常磐炭鉱に勤める近所の方々に履物を販売する出張販売も行っていた。

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