カテゴリ: 楽しみ・食べ物・生活

昭和40年4月1日

役場に就職して、半年が過ぎた。
仮採用が解かれ、本採用になった。

正職員初の給料日の4月21日に受けた給料は12,920円であった。今までより、3,420円増えたが、共済組合費等控除額が多くて、手取りは殆ど変らなかった。

この頃、ぼくは、朝早く起き、空気銃で小鳥打ちをするのが唯一の楽しみであった。

毎朝のように近所の屋根や電柱に留まっている雀を打ち落すのである。
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一朝に2匹から5匹位を撃ち落し、料理は母の仕事であった。

母は三春町の小鳥山(芹ヶ沢地区)の小鳥料理を食べさせる店に毎年、秋になると手伝いに行っていた。
その経験から小鳥料理は得意であった。

料理は、小鳥の羽を剥ぎ、二つに開く。雀の内臓を取り除き、タレを付けながら炭火で焼くのであるが、骨ごと食べられ、香ばしく、美味しく食べることができるのであった。



小鳥山は、つい最近までありました。最近といっても昭和の時代ですが…。山の小鳥(雀だと思います…)を網で捕まえて、鳥そぼろごはんや焼き鳥などをお客さんに食べさせていました。私は、この日記を読むまで、あの鳥そぼろごはんが、雀だったなんて知らなかった…。

今では、雀はあんまり食べませんよね…。

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↑父のいとこのなかよし兄弟

昭和38年頃の物価の流れ 日記のメモによると…


タバコ1個  50円前後       現在は…  タバコ1個 約280円(?)

銭湯代   大人が40円            大人   約500円 

ドーナツ版レコード  150円         CDアルバム 約3,800円 

映画の入場料  120円            映画の入場料 1,800円 

キャラメル1箱  20円             グミ    約150円 

コッペパンが  15円             コッペパン 約105円~ 

ってところでしょうか?

私が小さい頃は… お肉屋さんでコロッケ買ってました。1個50円!

母さんに50円もらって…
揚げたてを油紙に包んでもらって…。\(#^O^#)/なんだか、甘かったぁ…。



今日テレビで、戦争中の食事を再現していました。
昔は、本当に大変だったと思います。
配給が少なく、雑草や芋のつるを食べたり、すいとんには、砂が混じっていたようにじゃりじゃりとしていたとか…。食べたいものが、好きなだけ食べられるということに感謝です。

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昭和38年3月8日

ぼくは、赤羽の社交ダンスサークルへ行こうと同僚に誘われる。

ダンスも何も盆踊りくらいしか知らない。社交ダンスとはどんなものか…。
今、流行っているらしいので、行ってみることにした。

そこは、婦人会主催のダンスサークルということで、大勢の人たちがダンスの練習をしていた。

なにしろ初めての社交ダンスなので、先輩達に教えてもらいながら練習を始めた。
最初の日は、ワルツの練習。サークルのリーダーが親切に教えてくれた。
髪型や服装もみんな格好良い。

その後4回ほど参加し、やっとブルースが踊れるようになった。
そこから、ぼくは社交ダンスにはまるのだった。

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東京に働きに来て初の日曜日になった。

朝9時に会社を出て、家から持って来たおみやげを下げ、電車にて川崎市に住んでいる親戚の姉ちゃんの家へ向かった。

田舎から嫁いだ姉ちゃんには、子どもができていた。
午後8時頃までいろいろな話をして、夕食をご馳走になり、会社の寮に戻った。

楽しい時間を過ごした。

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昭和37年7月15日 

ぼくは、青年団のキャンプに参加する。バスと汽車を乗り継ぎ、青年団員9人で裏磐梯桧原湖キャンプ場へ行く。

この日は、朝から晴天。
桧原湖でボートに乗り、美しい自然の中ですがすがしい気持ちであった。
ボートにのっていると、急に雨が降り出す。急いで避難するのもまた楽しい。

間もなく雨が止み、バンガローを設営する。

夜は他の方面から来た多くの青年の方々と友達になる。一緒にキャプファイヤーを行ない、非常に盛り上がった。本当に楽しい一夜であった。

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