カテゴリ: 火事から2日目

 昭和30年 火事から2日目

火災で家を失ってしまい、生活する場所が無くなった。
ぼくらは、祖母の実家の母屋の裏側の部屋(八畳間)を借り、仮住まいをすることになった。

引越しする荷物は、着の身着のままであり何もない状態だが、半焼けの家財や旅行に持って行って無事だった荷物、妹のおかげで生き延びた伝書ばと等、リヤカーに半分しかなかった。

引っ越しを終えて部屋を見渡すと何にも無い状態であったが、ぼくが買ってきた修学旅行のおみやげだけが、きれいでぴかぴかに目立っていた…。旅行の思い出は火災で吹き飛んでしまっていたが…。

ぼくらは、仮住まいがあるからまだよい方で、火災で焼け出された身寄りの無い方は、町が開放した小学校講堂や教室を借り住まいにするしかなかった。

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なにも、なくなった…。
残ったのは、祖父、母、妹、自分、はととその日の売り上げだけ。
ぼくの父は、海軍として戦争に行き、マストから落ちて寝たきりで須賀川市の病院に入院していたが死亡した。
なくなった理由は戦争だが、長生きしてしまったため、戦死と認められず、入院費用や恩給がもらえない。
だから、わが家にお金はないし、家も燃えてしまった…。商売道具の下駄も燃え、鼻緒も役に立たない。

火災状況について、見ていた方に聞いたところ、ぼくの家から10軒下から火災が発生すると間もなく、誰もいないと知っていた親類が、家財道具を運び出したが、隣の土蔵の萱葺き屋根が燃え、搬出した家財道具に被さり、すべてが灰になってしまったそうであった。

また、家に火が移りそうになった時、祖父忠助は、一人屋根の上に登り、火が移ってこないようにバケツで屋根に水掛けをしていたそうである。祖父は、親戚の人が危ないから降りろといっても、気が狂ったように大声で「水を上げろ。」と騒いでいたそうである。祖父の努力むなしく、みんな燃えてしまった…。

火事から一夜あけた日の夜、小学校4年生の妹が戻って来た。

話を聞くと、妹は火災が発生して、家に火が移りそうだったので、とにかく、ぼく(兄ちゃん)が大事に飼っていた伝書バトの入ったかごを持ってにげた。家業の下駄屋の商品(鼻緒を包んだ風呂敷包み)は、近くのおばちゃんに、友達の弟に今日の売り上げを頼んだ。

はとのかご抱えて、一人で歩いていると、お寺のほうにみんなが歩いているのでついて行ったら、家が焼けてしまった人の避難所として開放されており、そこで一人で一夜を過ごしたとのこと。小学4年生が一人で、兄ちゃんも母ちゃんもいなく、心細かっただろう…。

弟子のお兄ちゃんは、妹はそっちのけで自分の荷物を持って、さっさと実家の中山へ逃げていたそうである。

妹があずけた鼻緒は、預けたおばちゃんが、誰から預かったのか忘れてしまったとのことで、となりの下駄屋にわたってしまっていた。友達の弟に預けた今日の売り上げは、無事に戻ってきた。

後日、なぜ、伝書ばとだけを持って逃げたのかと聞くと、
「修学旅行に行くときに、あんちゃんからエサをちゃんとあげるようにと念を押して頼まれたから。」
だそうである。今思えば、食べられるにわとりやウサギ、鼻緒を持って逃げればよかったと言っている。

 

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昭和30年4月18日 早朝、用意されたバスに乗り常葉に向かった。

中町の加登屋旅館前でバスから下車、中学校へ向かう途中、高台から市街地を見渡すと、旅行に出る前に在った町並みのすべてが消え去り、すべてが焼け野原…。
所々から白い煙が上っていた光景を目の辺りにし、自分の家が火災に遭わなかった生徒達までが声をあげ泣き叫んでいた。

中学校校庭に到着し、全員が校庭で校長先生のあいさつを聞いて解散した。

ぼくは自宅の場所に行くと、祖父忠助と修学旅行に同行し、先に帰った母が呆然として焼け跡に立っていた…。

我が家があった所は、炭化した建物の焼け残りしかなく、足の踏み場もない状況。ぼくが飼っていた兎やニワトリも全て燃えてしまっていた。

しかも、妹と家業の下駄屋弟子のお兄ちゃんが、火災以来いなくなってしまったとのこと。心配して探していたが見つからない…。

 
修学旅行に付き添いできていた父兄は、隣町、船引駅に生徒を残し、タクシーで常葉に向かった。

ぼくらは、先生の指示に従い、駅から歩いて20分、船引中学校体育館に向かう。

強風が吹き荒れ砂利道の道路から砂埃が舞い上がる。まともに目を開いていれない状況の中を歩いて船引中学校体育館に到着した。「この風では、火はあっという間に広がるだろうか…。どこが燃えたんだ?家は大丈夫だろうか?」「残してきたたった一人の妹は…?」

体育館につくと、婦人会の方々が炊き出しの夕食を準備しており、2個のおにぎりが全員に渡された。
食後間もなく陸上自衛隊郡山駐屯地の隊員が寝るための毛布を運んで来てくれた。

先生方は、定期的に常葉の火災現況を伝えてくれており、中町から上町にかけた道路の両側は全部の家が燃えていると言う…。
話を聞くと当然、自分の家も燃えているのであるが、ぼくは不思議なことに「我が家だけは大丈夫、残っている。妹も無事。」と過信しながら一夜を過ごした。

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