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↑男、四人珍道中!?(残念ながら、東北道拾次の写真ではありません。)
     

昭和39年8月29日

3日間休暇ができた。男四人でドライブに出かけることにする。
友達から普通車(日野コンテッサ)を借り、運転手はぼくである。

午後1時頃出発、みんなで相談した行き先は裏磐梯高原でのキャンプである。

しかし、朝からぽつぽつと雨が降っており、郡山郡山へ着くとどしゃ降りになってしまった。
キャンプは無理だということで、話し合い、予定を変更して日光へ行ってみることにする。

この時期の国道4号線はすべて砂利道であった。そのため、スピードは出せない。ゆっくり走行したため、到着は、明朝30日の午前8時頃であった。
中禅寺湖で朝食を済ませる。せっかく来たのだからと友人の提案で東京に向かうことにした。


次の日、8月31日の朝、東京都北区に着く。
東京都北区赤羽に住むぼくの親戚の家を訪れ、キャンプ用に持ってきた白米を出して、おにぎりをにぎってもらう。
4人でおにぎりを持って、東京見物をすることにした。
車で銀座有楽町を走り、浅草へいく。

国際座で観劇をしながらおにぎりで夕食をすませる。


夕方になったが泊まる所がない。友達の姉ちゃんが嫁いでいるとのことで、江東区砂町へ向った。
午後11時頃、着いたのだが、初めてきた土地であったので、家が見つからない。

もう遅いので、明日探そうと言うことになり、住宅団地の空き地に車を止め、テントを被せて4人で寝ることにした。

9月に近いとはいえ、東京は、むし暑い。暑くて眠れないと外に出てみると、近くに直径1メートル位のヒューム管が積んであった。4人でその中に入って寝ることにした。みんなで蚊に刺されながら、熟睡することができず、一晩をすごした。


翌朝1日、8時頃出発する。友達の姉ちゃんの家を探すと、野宿した場所と目と鼻の先であった。
4人で笑ってしまった。
姉ちゃんちで朝食をご馳走になり、上野へ向かう。そして、上野動物園を見学した。

次に、港区の東京タワーに行くと駐車場が無かった。かわりばんこに見学し、残りは車に待機することにした。




時の経つのも忘れ、遊んでいるうち、休みの最終日であることに気づいた。



あわてて国道6号を探し、福島へ向かった。明日からは仕事なので、朝までには着かなければならない。ぼくは、焦りながら運転した。


2日の午前2時頃、やっと家まで5km位までになった。


後もう少しで家だと、安心したのか、つい居眠りしてしまう。


ないように、助手席の友達と話をしながら運転していたのだが…。あんぼ寺(現在のシミズストアの前)で右側の用水溝に脱輪してしまった…。

4人で車を引き上げようとたが思うようにいかない。それぞれが各家に連絡した。そのうちの2人の家の人が来てくれ、やっと引きあげた。午前3時半頃になってしまった。


そのまま車を貸してくれた友人宅まで行き、4人でバケツで水を汲んで、泥だらけの車の洗車を行い、持ち主に返して解散した。すでに午前7時であった。


この日ぼくは、一睡もしないで商工会に出勤した。




純朴な青年達の楽しみですよね。

行動の一つ一つから、今の青年にはないすがすがしさを感じ、4人の関係や話し合っている姿を想像すると、とてもほほえましく思えます。