昭和38年7月5日
我が家の敷地が狭いため、風呂を造る余裕が無かった。
これまでは、近所の家の風呂を借りていたため、寝たきりになったじいちゃんは、しばらく風呂につかっていない。
ぼくは、じいちゃんを家の風呂につからせてやりたいと思うようになる。
地主から土地を約2坪借り、自宅裏に風呂場を造ることにした。
大工さんに風呂場建物建築を依頼した。住宅から少し離れていて、外に出なければならなく、入り口に戸が無い風呂であるが、わが家に待望の風呂が完成した。
これからは、自宅で入れるようになる。
しかし、この頃祖父の病状が日増しに悪くなってきていた。風呂に入れてやることができない。
医者からも
「長くない。」
と言われた。今日は、親戚に祖父の病状を知らせた。
ぼくが帰ってきてからも、爺ちゃんの様態は日増しに元気がなくなっている。
ぼくらの話し声も良く聞き取れないようになっており、心配の毎日であった。
しかし、ぼくはお盆も近いため、看病の合間を見ては下駄の行商に出ていた。
我が家の敷地が狭いため、風呂を造る余裕が無かった。
これまでは、近所の家の風呂を借りていたため、寝たきりになったじいちゃんは、しばらく風呂につかっていない。
ぼくは、じいちゃんを家の風呂につからせてやりたいと思うようになる。
地主から土地を約2坪借り、自宅裏に風呂場を造ることにした。
大工さんに風呂場建物建築を依頼した。住宅から少し離れていて、外に出なければならなく、入り口に戸が無い風呂であるが、わが家に待望の風呂が完成した。
これからは、自宅で入れるようになる。
しかし、この頃祖父の病状が日増しに悪くなってきていた。風呂に入れてやることができない。
医者からも
「長くない。」
と言われた。今日は、親戚に祖父の病状を知らせた。
ぼくが帰ってきてからも、爺ちゃんの様態は日増しに元気がなくなっている。
ぼくらの話し声も良く聞き取れないようになっており、心配の毎日であった。
しかし、ぼくはお盆も近いため、看病の合間を見ては下駄の行商に出ていた。
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